2022年8月31日 #131「亡き人に残された私たち」

こんにちは!お元気ですか?
やっと東京も涼しくなって来ました。突然に秋!って感じです。嬉しいです。湿気のある夏は苦手なのです。
今週は月の5週目なので何を書いても良い日。こういう自由なのが良いですね ♪ 

先日『Talking to Heaven 』というオラクルカードのセミナーをやりました。
もともと私自身 オラクルカードが苦手でした。ハッキリしないし意味が分からない! そこで、 それを克服する過程と解読のコツをお教えしたいなと思い、研究発表のような形にしてみました。なぜオラクルカードはハッキリした解答が得られないのかの理由、どう解決していくべきか? 新しい試みです。

ところで今回モチーフとして選んだカードは特別なカードです。亡くなった方からのメッセージをもらうことが出来るのです。参加された方も「あの亡き人のメッセージを受け取りたい!」と具体的に想定してのご参加だと思います。

大切な人が亡くなる喪失感は人を哲学者に変えてしまいます。鑑定をしていてもご両親を亡くしている方とご存命の方とは少し認識が違うと感じています。

自分にも覚えがあります。離れて暮らしていたので母が亡くなってもそんなにダメージはないだろうと軽く考えていました。しかし、実際に母を亡くした後の3〜4年間くらいは何をしていたのだか思い出せません。きっとその時には誰に何を言われても心には響かなかったのでしょうね。ただ一つ覚えているのは同時期に両親を立て続けに亡くした友人がいて、弔問の方から「これからあなた自身の人生が始まりますね。」と言われたという話です。今までは自分の人生ではなかったのか?自分は何かから逃れたのか?を一緒に考えた記憶があります。

たしかに私の母が存命していた時と亡くなった後には大きな変化がありました。あとから分かったことがたくさんありましたし、後悔もたくさんありました。人は物事を見たいように見ます。自分の母親像もやはり私自身が作り上げたものであったと今では分かります。もっと若い頃に、母の真実の姿にたどり着いていたら もっと自由に生きられたと思う時もあります。しかしそれもこれも全てが「今の私」につながっていると思えば、解消しようもない後悔さえもありがたく思えて来ました。

さて。オラクルカードは書籍です。誰かが何かを伝えるために書いたものです。ですから主張があります。「自由になろう」とか「自然に還れ」とか「大切なのは愛だ」とかね。『Talking to Heaven 』にも主張があります。それは『全ては定め』なのではないだろうか?と思っています。生と死をテーマにしているのでとても宗教的だな〜と思いますが、残された者にとっては、やはり人智を超えたなにかが一番しっくりくるのでしょう。

実は昨夜 数ヶ月ぶりに会った友人がいました。「可愛いフェレットちゃんは元気〜?」と挨拶のつもりで言ったところ「生後3ヶ月で死んじゃったの。」と返されて文字通り愕然としてしまいました。彼女にとっては赤ちゃんのような存在だったので、返す言葉がなく彼女の肩を撫でるしかありませんでした。これも『全ては定め』なのでしょうか。人智を超えたなにかが私たちの人生をゆったりと流しているのでしょうか。それとも私たちが全て自分で決めて生まれて来たのでしょうか。

日々 数秘で鑑定をしていますが、偶然では説明のつかない事象によく遭遇します。人智を超えたなにかがあるとしか思えません。私自身は それを幸せだと思って生きていきたいと思っています。全てが定めであるならば、何をやっても良いじゃないか!小さくまとまらなくても良いじゃないか!死ぬまでは生きるじゃないか!そんな開き直りで、すでに向こうに逝った人たちに みやげ話でもしてみたいと思っているのです。

次回『Talking to Heaven 』オラクルカードのセミナーは名古屋です!よろしくお願いします!
ではまた来週!

この記事をシェアする

シェアしていただけると励みになります

セミナー・鑑定のお申込み